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よさこい祭り年表:昭和29年(1954)(2)

8月5日
 進行部、舞踊審査部合同委員会、29人出席。
1.土電、県交に終夜運転要望
2.料理飲食等関係営業を午前2時までとする、以後も大目に見るよう警察へ申請するなど協議
▼審査部委員会、優勝旗はよさこい踊りに10本、郷土舞踊に5本など協議
▼実地視察を行ない堺町は審査場に不適当として、高知公園追手門内を好適と認定。

8月6日
 理事会、19人出席。審査部提案の審査場を追手門内に変更する事を了承。祭場は市議事堂。舞台の大きさは30坪、高さ一間
▼資金部委員会、14人出席。資金出納
状況など検討。

8月7日
 理事会、22人出席。進行部会よりの提案を審議。

8月8日
 進行部委員会、17人出席。郷土舞踊隊は審査がすめば随意行動、しかしバスを用意してなるべく協賛町内舞合を回ってもらうなど協議
▼高知警察署長より警備計画通知あり。

8月9日
 祭典部、舞踊審査部委員会、14人出席、祭典審査方法協議。

8月10日
 第1回よさこい祭り第1日。午後1時より市議事堂で市民祭典。午後2時より追手門内特設舞台で郷土芸能競演。市内8ヵ所の舞台でも郷土芸能を披露。夜は市営競輪場で花火の下で郷土芸能と鳴子踊りを乱舞、市営プールでは水上ショーと納涼バンド。

8月11日
 第2日。午後2時より8時まで鳴子踊りの競演。ハシケン関所破りなどあり。

8月16日
 協力感謝あいさつ状を振興会名で各方面へ発送。

8月20日
 批判懇談会、51人出席。収支計算につき検討、後日文書報告を行なうことで承認。全般にわたる反省として
▽8月10、11日の時期がはたして適当であったか。
県外はもちろん郡部からも予想外に人出が少なかったように思う(松原政之助)
▽農家なんかはあの時期に出れない。志那禰祭以後がよい(北岡亀太郎)
▽商人も一番空きの時に持っていったら(浜口八郎)
▽高知新聞へよさこい祭りについての批判の声が随分入っている。祭りをやることがいかんというのはないが主として歌詞や踊りについての批判である。方言は郷土でも取り上げられないほど下品なもので、県外へ出すべきものではない。来年はぜひ改善してほしい(堅田守正)
▽作者の武政氏は歌詞は何もあれに限ったものでなく適当に変えてほしいとかねてから言っていた。踊りは武政氏の予期していた「もっとダイナミックなものができると思っていた」に反してぎごちないものになった(池安延)
▽このデフレの時期にこんなお祭り騒ぎをやってという声も聞くには聞いた。また一面不景気だ不景気だといって憂鬱になっていたが、この催しで一ペんに気分がさっぱりしたという声も聞いた(岩川真澄)


よさこい祭り年表:昭和29年:9月度

 9月15日 高知市より補助金4万9干976円交付の通知あり。

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